回復しました
肩鎖関節脱臼で休診してましたが、回復して11月23日より再開しました。
今後もよろしくお願いします。
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以前から言ってますが、治療について語るなら、「科学的根拠のないことは言うべきでない」というのが私のポリシーであります。科学的根拠のないことを言ったらなんでもありの治療が出て来るわけです。そんなのはプロの治療家ではないと思っているからです。
でも世の中には科学的根拠のないことを言って、いかにも先生ぶってる人達はたくさんいて、そんな先生もどきを信じてる人達がたくさんいる。
みなさん真実を見つめ直しませんか?と言いたくなってしまうのである(>_<)。
かと言って科学は万能ではありません。
現在の科学の力によって、人間の体の構造や働き、自然界の成り立ちや動きはわかってきても、すべてがわかるわけではありません。
東日本大地震だって予知できない。
季節でいえば、梅雨明けはいつになるか?とよくテレビでやりますが、だいたいこれくらいじゃないかな?とわかってもはっきりとはわかるものではありません。テレビでは気象予報士がこれくらいじゃないか?と予報しますが、はっきりとはわからないものです。
外れたら、後で修正してるだけです。そのように毎年後で検証してるのです。
明日の雨の予報でも必ず当たるわけではありません。
予報が外れると、「何だよ天気予報当たんねぇ!!」
と不満を言う人がいます。
冷静に考えれば当然です。100%当てるのは今の科学でも無理ですから。
私はそのようなことを言う人を見ると人間の傲慢さを感じるのです。
昔は衛星のひまわりなんかなかったから、これ程の確率で天気予報を当てることなんてできなかった。
ここまでわかるようになった科学者の功績に感謝せず、文句を言う人間に傲慢さを感じるのです。科学に感謝し、謙虚に受け止める心がないからです。
便利になったらなったで、さらに文句を言う傲慢さは人間の本質なのかもしれません。
そんな人間の本質を理解し、戒めることができるのは、その人が受けてきた教育であり、その人が自ら学んだ勉学で決まるのであろう。
私は、気象予報士の石原良純さんが、梅雨明けいつですか?と聞かれ、そんなのわかんねぇよ!みたいなことを言ったのを見たことがある。
いかにも、ぶっきらぼうで、適当だと思われそうだが実は真実を言っている。
天気予報が外れた時に、しょうがないよ、みたいなことを言ったのを見たこともあるが、それでも天気予報士か!と誰もが突っ込みたくなるが、実は真実を言っている。
一見、梅雨明けはいつと予報し、外れたら後で修正する人。そして天気予報が外れたら、愛想良くすいませんでしたと言う人。テレビ受けはいいかもしれない。
だが、ひねくれ者の私はぶっきらぼうな石原良純さんの方が好感が持てる。そこには自然界を完全に予報できるという傲慢さがないからである。外れた時の潔さがあるからである。
テレビ受け良く調子の良いことを言う天気予報士は、未練たらしく外れた言い訳をし、謝るが、自然界を掌握しているような傲慢さを感じるし、自然界に対する謙虚さが感じないからである。謝っても、視聴者に謙虚さを見せようとしているからである。
だからテレビ受けは良いのだろう。
人によって受け止め方は違うけど、見方を変えて見ると、新たな発見があるかもしれない。
治療にとっても同じことは言えるのではないでしょうか?
痛みに関してはレントゲンなり、MRIなりはっきりとした所見で異常がなくても、原因のはっきりしない痛みはあるものです。
急性腰痛でさえ70%ぐらいは原因がわからないと言われます。それは筋肉を包む筋膜の炎症なり、靭帯の炎症なり、予測はつきますが、レントゲンなり、MRIでもわからないのが多いからです。
もちろんヘルニアなど明らかにレントゲンやMRIで調べてわかるものには診断がつきます。
治療をする人の中には予測はできても、いかにもこれが原因だと言う人がいます。かなりいるかもしれません。さらには予測できる技量もないのに言う人もいます。
レントゲンやMRIの客観的所見もわからないのに断定的に決めてしまうのはどうでしょうか?
痛みの科学は勉強すればするほど奥が深いのです。以前に書きましたが、慢性の痛みには、感情も影響を受けることが科学的にわかってきたことを書きました。
私は原因を聞かれれば、こうじゃないか?とか、こういう可能性で痛みが出てるのではないか?と答えます。
断定的には答えません。レントゲンやMRIなどの客観的所見もなしに触診だけで断言するのは独断的と思うからです。触診は主観的所見です。どんな優れた触診力があろうが主観的なものだからです。
一見すれば、頼りのない治療家かもしれない。でもその人の体のすべてを理解してるような傲慢さは持ちたくない。もちろん最大限に理解しようとするが、私は神ではないから限度がある。そのように謙虚に受け止めている。
以前働いてた所のお客さんで、その人はお金に裕福な人で、昔から腰や膝が悪くていろんな有名で治療費の高い治療院に行ってた人がいました。初めて私がその人についた時、どれくらいで良くなるかと聞いてきました。
私はやってみないとわからないし、経過をみながら観察しないとわからないですよと正直に答えました。ぶっきらぼうな言い方かもしれない。
するとその人はそんな私を信頼すると言ってくれました。
その人は高い治療費で、いろんな有名な所に行っては治りますよと散々言われて通ったのに良くならなかったそうです。
実は私も二十歳の頃、ひどい腰痛と座骨神経痛でいろんな治療院に行っては治りますよと言われては通ったけども、良くならずガックリした経験があります。
希望を与えることも大事かもしれませんが、結局はやってみないとわからないのが現実なのではないでしょうか?
これはある意味、治療家の生き方みたいな部分になりますが、私はシャイだし、謙虚な治療家の生き方しかできないなぁ〜と思うのである(>_<)。
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